四柱推命の歴史

四柱推命は途中から間違った歴史になってしまった。

新しい例では 古代中国の 「宋」の時代のあとから間違ってしまった。

今は、四柱推命では日柱の天干が「我」、といっていますが、これは本当でしょうか?本当ではないのです。実は明治時代の本には、月柱が「我」、つまり生まれた月が自分自身だと言っている本もあるのです。さらに、古代中国の明朝以前の宋の時代になりますと、なんと年柱が「我」なのです。つまり、生まれ
た年が自分なのです。

ですから、四柱推命の日柱が「我」、通変星は日柱と月柱を見て決める、日柱と年柱を見て決める、このように頭からそれだけを信じて使っていると、もしかしたら当たらない、自分には使えないというケースが出てくる場合があるでしょう。

もっと古代の例になると、甲を大樹 乙を草花と 万物に転換してしまったときである。大樹や草花は生き物であるから、太陽の丙 と 雨の癸 が必要という、理論が何百年も、間違って発展してきた。

人間を診断するのに、こうなったのは、人間の性情や個性を 表現できない古代の人達の語彙力が乏しかったからである。

私の占い理論は、こういった万物に置換する理論を超えている。

果たして それが正しいのか?

実は 現代でも中国医学の漢方理論は、私と同じような理論なんですよ。医学の方面では、正しい進化をしてきたようです。