■集団意識に騙されるな
集団の意識ってあまり理解されていませんが、非常に強力です。小さな集団意識は父母です。すこし大きくなると会社です。もっと大きくなると社会や国です。自分の意識と相性のいい集団で生活できる場合は、問題ありませんが、そんな幸せな人は稀です。多くの場合は、集団が気に入らないけど、無理やりに適応しなければならないと思って理性の力で感情を抑え込んでいます。だから、集団にひきずりまわされてしまうわけです。家庭が悪い、会社が悪い、社会が悪いなんて文句を言うなら、さっさと集団を離れて、自分の集団を創造していくべきなのです。
筆者のタイ人妻は、・・・・・・・ここからはかなりプライベートな内容なので本書を買った人だけに公開します・・・・・
表面上は、・・・・・・・・・・に従っているわけではありません。理性を優先させていると、自分がだれだか分からなくなってしまいます。本当の欲求が分からなくなってしまいます。結果的に、10年先とか20年先を予想して、今を生きるということができません。一見すると、計画性がないというように見えますが、根源的部分は、本当の感情の欲求が分からなくなっているということです。本当の意味での魂から発せられる「良い気分」という感覚が分からなくなっているのです。
タイ人の多くがこの幼児の頃の仏教教育のワナにはまっています。為政者から見れば、都合のいい扱いやすい家畜の育成です。こんな話しをしてもスピリチュアルの世界に無関心のタイ人妻にはまったく伝わりません。それで、日々の生活で仕事の進め方やお金の使い方について、理性を超えた部分で判断していることを伝えるようにしています。
(妻)なぜ、儲からない馬の牧場なんてやっているの?
(私)やりたいからだよ。
(妻)なぜ、経営者のあなたが草引きなんてやっているの?
(私)顧客にキレイな牧場だねと感動を与えたいからだよ。
(妻)なぜ高い馬をアメリカから買うのか?
(私)いい馬というのはどんなものかを味わいたいからだよ。
(妻)なぜあなたは親の面倒をみないのか?
(私)親を尊敬しているからだよ。
(妻)なぜ家の外の道路まで草引きするのか?自分の土地じゃないでしょ。
(私)お客さんが来るとき、気持ちよくなって欲しいからだよ。
(妻)なぜ儲かっている会社の株を売ってしまわないのか?
(私)その会社が好きだから持っていたいからだよ。
(妻)なぜ、道路の舗装なんかに400万もかけるのか?
(私)お客さんに気持ち良く快適に過ごして欲しいからだよ。
(妻)なぜ、あなたの本をもっと安くして売らないのか?
(私)世界でただ一つのユニークな内容で他に類似品がないからだよ。
(妻)なぜ、あなたは私と結婚したのか?
(私)お前が、自分は変な女で怠け者だけど、それでいいのか?と正直に言ったからだよ。
(妻)なぜ、あなたは安いカナダ産の豚肉を買わず、高価な北海道産を買うのか?
(私)北海道が好きだからだよ。
(妻)なぜ、あなたは一番高いお米を買うのか?
(私)農家の方が、手間暇かけて育てたその苦労を買いたいからだよ。
(妻)なぜ、あなたは簡単に儲かる仮想通貨をやらないのか?
(私)だれが、何の目的で仮想通貨を発明したのか?考えたことある?そこに愛はある?
いかがでしょう。妻の発想はすべて損得と最善の道を理性で選ぶべきということがわかるでしょう。でも実際に妻の言うことに行動はついていかず、毎日のように損か得かを言って変わり継続性がありません。結果として、なんにも達成できませんし、成長もないわけです。いっぽうで、私の発想はすべて損得を超えた理性を超えた魂の感情からの発想です。だから、継続できるし、自分を創造していけるわけです。魂が良い気分になれる道を私は選択しているのです。
こういうことを書くと、自分は良い気分になることを常に選択して生きていると言う人がいます。しかし、魂からの声を聞けない人は、良い気分というのは、実際は良い気分ではないのです。目下や異性など、他人によって誉めてもらって良い気分にさせてもらっている人が多いです。そういう人は、言葉はきれいかもしれませんが、行動が伴いませんし、なによりも生きていることが苦しそうです。生きている人が苦しいと感じている人の良い気分というのは、実際は良い気分ではなく、一時的に酒飲んで良い気分になるのと同じ程度の良い気分のことが多いのです。
皆さんは、見抜いてくださいね。人間が作り上げた道徳や倫理や哲学の範囲で思考し、魂の深い部分からの生臭い声を無視して生きている人って、継続性がなく、自分自身に満足していませんから。会話していても、楽しくありません。「このウソつき、かっこつけるなよ」と叱りたい思いになります。内容を聞く必要はありません。言葉はいくらでもごまかせますから。内容ではなく、声の音色で判断してくださいね。魂の深い部分の声って、非常に生臭いものです。しかし、それに素直に従っていくと、だんだんと、魂の欲求が成長してくるのです。