だれも語らない 語れない カルマの本質
カルマって おそろしいもの、恐いもの、逃げられないもの、運が悪くなるも
の、だから、避けたい。こんなふうに思っている人が多い。
でも、カルマの本質を知らないから、毎日の生活で、カルマを作っていることに
気が付かない。
カルマの法則の反対側にあるのが、ダルマの法則です。このダルマに関しても
日本では、幸運のGOODSとして扱われていて、本質をもう、見えなくしてしまっ
ている。
もともと日本人は、本質を見抜けるDNAをもっていた。戦前のメデイアのレベル
は世界最高であった。アメリカが金融ユダヤの乗っ取られていることを見抜いて
いて本当の敵は、アメリカという国ではなく、一部の血族であると見抜いていた。
今では、そんなことを書くメデイアは、1つもない。
占いの業界もそうだ。江戸時代までの占いは健全だった。明治になって
なんでもかんでも、分離する文化が優れているという発想のもとで、大量
に、単語が明治政府によって創造され、日本語も変えられていった。
もともと、日本語は、主語をあまり言わない。
(例)
せっしゃ 会社にまいる。
われ 会社にまいる
気が付いたでしょうか? 助詞がないのである。 私「は」 とか 自分「は」
という助詞は、私 という単語を創造すると同時に 政府が作って 日本語
を変化させたわけだ。
なぜ、もともとは、助詞をあまり使わなかったのかというと、もともとの日本語
は、一元論に近い文化だったからだ。
せっしゃ「は」 とは言わない。
われ「は」 とは言わない。
主語に I をあまり使わない文化だった。つまり、エゴである I をあまり使
わない。
もっというなら和歌をみてみるといい。
いいとか、悪いといった ニュアンスは皆無であることが分かるであろう。
ものごとを良い 悪いに分離するように、言語を変えたのは、明治政府である。
そのため、占いもおかしくなってしまった。
日本人の頭も、おかしくなってしまった。
一元論的な日本語が 二元論に変えられたおかげで、文化も二元論になった。
自分さえよければいいという文化である。
ここが分かってくると、本当のカルマの本質が見えてくる。